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2009年11月15日日曜日

第28回読売こころ塾 秋山豊寛さん

第28回 秋山豊寛さん:読売こころ塾:文化 伝統 : 関西発
in YOMIURI ONLINE(読売新聞)

宗教学者の山折哲雄さんを塾長に、現代人の心の問題を考える公開講座「第28回読売こころ塾」が4日、大阪市中央区の大槻能楽堂で開かれた。ゲストは日本人初の宇宙飛行士で、現在は有機農業に取り組む秋山豊寛さん。宇宙への飛行体験や、人生の転機について山折さんと語り合った。司会はジャーナリストの音田昌子さん。

あきやま・とよひろ 宇宙飛行士、ジャーナリスト 1942年東京都生まれ。TBSで政治部記者、ワシントン支局長などを歴任。90年、日本人初の宇宙飛行士として旧ソ連の宇宙船に搭乗し、地球の映像を生中継した。95年にTBSを退社、福島県で有機農業に取り組む。著書に「宇宙と大地」「鍬と宇宙船」ほか。

司会 TBSのジャーナリストだった秋山さんが、宇宙飛行士として地球の映像を中継したのが1990年。その時48歳でした。

秋山 遠くのものをリアルタイムで見るのがテレビの魅力。地上400キロからの中継リポートなんて、テレビで働くものにとっては夢の仕事だ。社内で特派員を募集していたので、これはチャンスと応募しました。

山折 秋山さんは本の中で、「宇宙飛行に恐怖や不安はない」と書いておられる。私は宇宙飛行士の土井隆雄さんや、アメリカ人のチャールズ・コンラッドさんに「恐怖感はないか」と聞いたことがあるが、やはり同じ答えでした。

秋山 恐怖に関しては、幼い頃、親にしかられてよく庭の松の木に縛り付けられた。たいていしばらくして誰かが助けに来てくれたが、6歳くらいの時、泣いても騒いでも誰も来てくれず、心細くてたまらなくなった。その時ふと、「俺が怖いと思うから怖いんだ」という“悟り”を得たんです。

もう一つ、好奇心を満足させられるなら死んでもいいという気持ちがある。マスメディアにいる間にそれが強くなったかもしれない。

山折 秋山さんは、地球がさまざまな色の光を発しながら回転する映像を、宇宙から伝えてくれました。

秋山 地球から400キロ離れると、700キロ平方が見える。太陽光線が地球に届いた時、青い波長の光が大気の中で拡散する。この青い光が地球を薄く取り巻いている。それに加えて、朝焼けの紅色。夕焼けのあかね色と、夜の薄墨色の闇が、地上400キロの距離からだと一望のもとに見渡せるんです。

山折 それはその後の人生観に影響しましたか。

秋山 地球に戻る最後の夜、窓から外を見て「なんて地球は美しいんだ。本当に命の塊だ」という思いがこみ上げてきました。

司会 宇宙の風景を独特の言葉で表現されました。

秋山 月は銀の盆を磨き上げたよう。星は天にあいた穴のようで、1か所から6000くらい見える。流れ星は金色のメダカが泳ぐのにも似て、地球に向かって飛び込んでいきました。
テレビ局辞め 農業へ大転換

やまおり・てつお 宗教学者 1931年生まれ。「読売こころ塾」スタート以来、塾長を務める。「ブッダは、なぜ子を捨てたか」「仏教とは何か」ほか著書多数。

司会 宇宙から戻って53歳で会社を辞め、「農のある暮らし」へと大転換されました。その動機は?

秋山 学生時代は歴史学者になりたかったが、指導教授に「歴史のスケッチをするのがジャーナリストだ」と勧められ、テレビ局へ就職した。好奇心を行動の軸にして、現場の記者やディレクターを務めてきた。だが51歳で管理職を命じられた時、定年までシステムの中で役割を果たし続けることはできないと感じたんです。
私は42年生まれで敗戦直後の食べ物のない時代を知っている。人間の一生の基本にあるのは食べること。命の出発点である「農」にかかわりたかった。

山折 管理職が嫌なのは昭和ひとけたである私の世代も同じ。でも我々は組織から離れられなかった。団塊の世代の前後から、農業を選ぶ人が増えていきました。

秋山 人生は1回限りという思いが強い。宇宙飛行の2週間前に打ち上げ基地へ行き、毎日ジョギングしていたが、いつも道端に姿を見せていた子犬が3日後に死体になったのを見た。「俺も10日後に死ぬかもしれない。やり残したことはいっぱいある。このプロジェクトが終わったら、将来のために現在を犠牲にする生き方はもうやめよう」と思ったんです。

山折 そうして、農業を始めるために日本中を見て回られたんですね。

秋山 沖縄から探し始め、だんだん北へ向かって結局福島に決めた。農協の職員の給与を払えるほどの売り上げはないから、直売にした。直売なら単価が高くて軽いものが扱いやすい。それでシイタケ栽培にしました。

山折 農薬を使わず有機農業をされている。

秋山 宇宙へ行った時、地球環境問題を視聴者が考える契機になればと願っていた。だから農業でも環境を守り、生態系を考える方法にしたい。確かに手間はかかりました。

司会 TBSを辞める時、「1人の子どもを宇宙に送るより、100人の子どもに田植えを体験させたい」とおっしゃった。


秋山 私が山の暮らしを始めた90年代半ばに比べると、体全体で何かを経験することの意味が広く共有されるようになってきた。例えば農家が先生になって、子どもたちに米作りなどを教える「田んぼの学校」がそうです。政治の世界はともかく、一般の人の暮らしの中では情報の共有が広がり、世の中は少しずつよくなっているのではないでしょうか。

おんだ・まさこ 読売新聞大阪本社編集委員、大阪府立文化情報センター所長などを歴任。

司会 農作業の中で幸せを感じるのはどんな時ですか。

秋山 無農薬だから虫がいっぱいいる。稲にたかる虫を見ていると、人間も虫の一種じゃないかと思う。自然と交歓し、生かされていると感じるのはそんな時です。

匂(にお)いにも敏感になる。春に土を耕せば地中の微生物が分解して匂い立ち、秋にはキンモクセイが香る。冬の夜は星の香りさえする。山の中では全身で感じるんです。

山折 秋山さんには縄文人の血が流れているかもしれない。

秋山 私にとって、今は「林住期」なんです。

山折 「林住期」というのはインド人が紀元前後に考えた人生観の一つで、四つの段階を経て人生を終えるのが人間の理想だとした。第1は勉強をする「学生期」、第2は結婚して家族と暮らす「家住期」。第3が家を出て旅をしたり瞑想(めいそう)したりする「林住期」です。
その後、お金がなくなったり、健康を損ねたりして家庭に戻る人が多いが、まれに単独者の生き方を貫き、第4の「遊行期」に入る人がいる。秋山さんはその可能性が強い。


秋山 先のことが見えすぎるより、何か大きな幸せか不幸が来るかもしれないと思う方がわくわくして生きられる。今の目標は、100歳まで長生きすることです。"


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