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2009年11月27日金曜日

国内産無農薬綿でエコデニム生産へ

ポイント:
オーガニックコットンを国産しているとは知らなかった。
高付加価値製品の生産に期待したい。

無農薬綿でエコデニム生産へ
中国新聞 地域ニュース: 09/10/20

 デニム糸の染色を手掛ける坂本デニム(福山市神辺町)は19日、本社敷地内の約1アールで5月から無農薬栽培してきた綿花の収穫をした。今年採れた種を使って、備後、備中地方の耕作放棄地などを活用して栽培面積を広げる計画という。将来は「備州綿」と名付けて、オーガニックジーンズを生産する。

収穫した綿は、大正紡績(大阪府阪南市)で製糸し、坂本デニムが染色。デニム製造の吉河織物(井原市高屋町)で織布する。約100キログラムの収穫を見込み、来夏には50~60本のジーンズに仕上げる。国際的な展示会への出品も検討する。

坂本量一社長(54)は「地球環境に配慮した、ジャパンデニムの産地を代表する商品に育てたい」と話す。


2009年11月20日金曜日

asahi.com:人吉産のアイガモ米 ブランド化めざす

ポイント:
食品を食品として販売すれば、それなりの値段で落ち着いてしまう。

それを、文化にする努力の一例。
先日の記事と同じ内容だが、面白いので掲載。

asahi.com:人吉産のアイガモ米 ブランド化めざす
in -マイタウン熊本
2009年10月30日


人吉市がブランド化をめざす「霧降る里のひかり米」とパッケージ=人吉市役所

アイガモ農法による有機無農薬栽培の人吉市産米が、しゃれた小箱入りの新ブランド「霧降る里のひかり米」として売り出される。人吉市がめざす健康農産物のブランド化の一環。30日~11月3日に東京都内である東京デザイナーズウイーク2009の国際見本市に出品される。

米はJAくま医食同源ひとよし米生産部会(杉本仙一代表)が育てたヒノヒカリ。食品のブランド化を手がける東京のフードディレクター奥村文絵さんがハードカバーの本をイメージして縦20センチ、横14センチ、厚さ4センチの紙箱をデザインした。1箱3合(約450グラム)入りだ。

 「雲海に包まれる幻想的な隠れ里、人吉から届いたヒノヒカリ」とうたい、おいしい炊き方や保存方法、お薦めの食べ方を提示。もっちりしておりハンバーグや焼き魚など味のしっかりしたおかずに向いている、と記されている。奥村さんは「食に敏感な都市部の人が贈り物として買うことを想定した。インテリアショップで食器などの工芸品と並べて売りたい」と話す。

林健善副市長は「一人暮らしや夫婦二人暮らしなどライフスタイルに合わせた顧客開拓の試み。デザインの奥にある生産地の風景や生産者の思いを伝えたい」と言う。"


2009年11月16日月曜日

無農薬米:人吉産PR、販路開拓とブランド化狙う 美術館売店や家具店で販売

ポイント:
食品を食品として販売すれば、それなりの値段で落ち着いてしまう。
それを、文化にする努力の一例。

無農薬米:人吉産PR、販路開拓とブランド化狙う 美術館売店や家具店で販売
in /熊本 - 毎日jp(毎日新聞)

 人吉市は、東京の販売促進会社「エムエイチユニット」(森博社長)などと協力し、30日からアイガモ農法による市内産無農薬米の全国発売を始める。米の販売実績がない国立新美術館(東京)など美術館の売店や家具・インテリア品を主力とする約60店で販売し、販路開拓と人吉産米のブランド化を狙う。

同社などが取り組む食品ブランド「800for eats」の一つ。市内の農家22戸が08年から生産するアイガモ農法による無農薬米「ヒノヒカリ」を使い「霧降る里のひかり米」として発売する。JA球磨から米を仕入れ、3合精米で1150円(税込み)、玄米は1050円(同)。外装は専門書のような箱型で白を基調としたシンプルなデザイン。裏には「もっちりとした食感」「味の濃いおかずと食べる昼食、和洋食向き」など「お勧めの食べ方」を提案し、商品の差別化を図るという。

同じ米は人吉市内のJA直売所で「医食同源ひとよし米」として2キロ・1200円で発売している。新商品は4倍以上の価格だが、同ブランドに取り組む奥村文絵さん(38)は「店舗で家具や食器などのそばに『価値あるブランド米』を並べることで、顧客に新しい生活の提案をしたい」と話している。【高橋克哉】


2009年11月15日日曜日

第28回読売こころ塾 秋山豊寛さん

第28回 秋山豊寛さん:読売こころ塾:文化 伝統 : 関西発
in YOMIURI ONLINE(読売新聞)

宗教学者の山折哲雄さんを塾長に、現代人の心の問題を考える公開講座「第28回読売こころ塾」が4日、大阪市中央区の大槻能楽堂で開かれた。ゲストは日本人初の宇宙飛行士で、現在は有機農業に取り組む秋山豊寛さん。宇宙への飛行体験や、人生の転機について山折さんと語り合った。司会はジャーナリストの音田昌子さん。

あきやま・とよひろ 宇宙飛行士、ジャーナリスト 1942年東京都生まれ。TBSで政治部記者、ワシントン支局長などを歴任。90年、日本人初の宇宙飛行士として旧ソ連の宇宙船に搭乗し、地球の映像を生中継した。95年にTBSを退社、福島県で有機農業に取り組む。著書に「宇宙と大地」「鍬と宇宙船」ほか。

司会 TBSのジャーナリストだった秋山さんが、宇宙飛行士として地球の映像を中継したのが1990年。その時48歳でした。

秋山 遠くのものをリアルタイムで見るのがテレビの魅力。地上400キロからの中継リポートなんて、テレビで働くものにとっては夢の仕事だ。社内で特派員を募集していたので、これはチャンスと応募しました。

山折 秋山さんは本の中で、「宇宙飛行に恐怖や不安はない」と書いておられる。私は宇宙飛行士の土井隆雄さんや、アメリカ人のチャールズ・コンラッドさんに「恐怖感はないか」と聞いたことがあるが、やはり同じ答えでした。

秋山 恐怖に関しては、幼い頃、親にしかられてよく庭の松の木に縛り付けられた。たいていしばらくして誰かが助けに来てくれたが、6歳くらいの時、泣いても騒いでも誰も来てくれず、心細くてたまらなくなった。その時ふと、「俺が怖いと思うから怖いんだ」という“悟り”を得たんです。

もう一つ、好奇心を満足させられるなら死んでもいいという気持ちがある。マスメディアにいる間にそれが強くなったかもしれない。

山折 秋山さんは、地球がさまざまな色の光を発しながら回転する映像を、宇宙から伝えてくれました。

秋山 地球から400キロ離れると、700キロ平方が見える。太陽光線が地球に届いた時、青い波長の光が大気の中で拡散する。この青い光が地球を薄く取り巻いている。それに加えて、朝焼けの紅色。夕焼けのあかね色と、夜の薄墨色の闇が、地上400キロの距離からだと一望のもとに見渡せるんです。

山折 それはその後の人生観に影響しましたか。

秋山 地球に戻る最後の夜、窓から外を見て「なんて地球は美しいんだ。本当に命の塊だ」という思いがこみ上げてきました。

司会 宇宙の風景を独特の言葉で表現されました。

秋山 月は銀の盆を磨き上げたよう。星は天にあいた穴のようで、1か所から6000くらい見える。流れ星は金色のメダカが泳ぐのにも似て、地球に向かって飛び込んでいきました。
テレビ局辞め 農業へ大転換

やまおり・てつお 宗教学者 1931年生まれ。「読売こころ塾」スタート以来、塾長を務める。「ブッダは、なぜ子を捨てたか」「仏教とは何か」ほか著書多数。

司会 宇宙から戻って53歳で会社を辞め、「農のある暮らし」へと大転換されました。その動機は?

秋山 学生時代は歴史学者になりたかったが、指導教授に「歴史のスケッチをするのがジャーナリストだ」と勧められ、テレビ局へ就職した。好奇心を行動の軸にして、現場の記者やディレクターを務めてきた。だが51歳で管理職を命じられた時、定年までシステムの中で役割を果たし続けることはできないと感じたんです。
私は42年生まれで敗戦直後の食べ物のない時代を知っている。人間の一生の基本にあるのは食べること。命の出発点である「農」にかかわりたかった。

山折 管理職が嫌なのは昭和ひとけたである私の世代も同じ。でも我々は組織から離れられなかった。団塊の世代の前後から、農業を選ぶ人が増えていきました。

秋山 人生は1回限りという思いが強い。宇宙飛行の2週間前に打ち上げ基地へ行き、毎日ジョギングしていたが、いつも道端に姿を見せていた子犬が3日後に死体になったのを見た。「俺も10日後に死ぬかもしれない。やり残したことはいっぱいある。このプロジェクトが終わったら、将来のために現在を犠牲にする生き方はもうやめよう」と思ったんです。

山折 そうして、農業を始めるために日本中を見て回られたんですね。

秋山 沖縄から探し始め、だんだん北へ向かって結局福島に決めた。農協の職員の給与を払えるほどの売り上げはないから、直売にした。直売なら単価が高くて軽いものが扱いやすい。それでシイタケ栽培にしました。

山折 農薬を使わず有機農業をされている。

秋山 宇宙へ行った時、地球環境問題を視聴者が考える契機になればと願っていた。だから農業でも環境を守り、生態系を考える方法にしたい。確かに手間はかかりました。

司会 TBSを辞める時、「1人の子どもを宇宙に送るより、100人の子どもに田植えを体験させたい」とおっしゃった。


秋山 私が山の暮らしを始めた90年代半ばに比べると、体全体で何かを経験することの意味が広く共有されるようになってきた。例えば農家が先生になって、子どもたちに米作りなどを教える「田んぼの学校」がそうです。政治の世界はともかく、一般の人の暮らしの中では情報の共有が広がり、世の中は少しずつよくなっているのではないでしょうか。

おんだ・まさこ 読売新聞大阪本社編集委員、大阪府立文化情報センター所長などを歴任。

司会 農作業の中で幸せを感じるのはどんな時ですか。

秋山 無農薬だから虫がいっぱいいる。稲にたかる虫を見ていると、人間も虫の一種じゃないかと思う。自然と交歓し、生かされていると感じるのはそんな時です。

匂(にお)いにも敏感になる。春に土を耕せば地中の微生物が分解して匂い立ち、秋にはキンモクセイが香る。冬の夜は星の香りさえする。山の中では全身で感じるんです。

山折 秋山さんには縄文人の血が流れているかもしれない。

秋山 私にとって、今は「林住期」なんです。

山折 「林住期」というのはインド人が紀元前後に考えた人生観の一つで、四つの段階を経て人生を終えるのが人間の理想だとした。第1は勉強をする「学生期」、第2は結婚して家族と暮らす「家住期」。第3が家を出て旅をしたり瞑想(めいそう)したりする「林住期」です。
その後、お金がなくなったり、健康を損ねたりして家庭に戻る人が多いが、まれに単独者の生き方を貫き、第4の「遊行期」に入る人がいる。秋山さんはその可能性が強い。


秋山 先のことが見えすぎるより、何か大きな幸せか不幸が来るかもしれないと思う方がわくわくして生きられる。今の目標は、100歳まで長生きすることです。"


2009年11月14日土曜日

「未来の食卓」の仏映画監督、桂川町で撮影 アイガモ農法実践を古野さん紹介

ポイント:
除草に家禽を使い、食肉も育てる。
このすばらしい農法が世界中に広がることを望む。

あの「未来の食卓」の監督の次回作、楽しみだ。


仏映画監督、桂川町で撮影 アイガモ農法実践 古野さん紹介 「地球上の農業の手本に」 / 西日本新聞

2009年10月29日 02:38 カテゴリー:九州 > 福岡
スタッフの指導を受けながら映画の撮影に臨む古野隆雄さん(中央)

桂川町寿命で「アイガモ農法」を実践する古野隆雄さん(58)の農場で、フランス人映画監督のジャンポール・ジョー氏(63)が新作映画の撮影を行った。ジャンポール監督は今回の映画で環境問題や食の安全などを訴え、日本の有機農業の成功例として古野さんのアイガモ農法を紹介する。

ジャンポール監督は、昨年に完成させた映画「未来の食卓」の中で、南仏にある村が、農薬や化学肥料を使わない農産物や食品に、学校給食の食材を切り替えた試みを取り上げた。

今回の映画はその続編となる。古野さんの存在を知ったジャンポール監督は、囲いをした水田にアイガモを放ち、雑草や害虫を駆除しながら稲作とアイガモ肉の生産を同時に行っている有機農業に魅せられたという。

6月に田植えの撮影を終えており、今回は10月上旬の稲刈りの時期に合わせて再び訪れた。たわわに実った稲やアイガモの飼育現場などを撮影した。

ジャンポール監督は、古野さんについて「現代では珍しく、化学肥料を使わない自然な農法を実践している。地球上の農業の手本となる人です」と称賛する。

11月まで、福井県やカナダの農地でも撮影を行い、来年3月に映画は完成する予定。

=2009/10/29付 西日本新聞朝刊="


2009年11月13日金曜日

農薬信奉から無農薬へ=人文研=「農業と食、健康」=続木善夫さん半生語る

ポイント:
無農薬栽培なら虫がついて加工用にしかならない・・
そんな悩みに、挑戦した開拓民の活動に驚愕。
なお、無農薬で虫害を防ぐのに成功している例は

農薬信奉から無農薬へ=人文研=「農業と食、健康」=続木善夫さん半生語る


「人生40歳で真っ二つ。農薬信奉から無農薬へ」――。農薬会社社長から転身、ブラジル有機農法の先駆者として知られる続木善夫氏(79、大阪)が、講演会「農業と食、健康を考える」(サンパウロ人文科学研究所研究例会、田中洋典所長)で自身の人生を辿りながら、有機農法で生きるとは何かを語った。9月17日文協ビル会議室で行われ、集まった15人は熱心に聞き入った。何故40年も前に無農薬の道へと進むことになったのか、有機農業の現状とは――。

続木さんは大阪府立農業専門学校(現大阪府立大学)を卒業後、1953年8月に呼び寄せ来伯した。プレジデンテ・プルデンテに入植し、コチア産業組合で働く。
「有名研究所すら原因不明とした落花生の病気を『虫だ』と解明、農薬を使って完全に防いだ」ことがきっかけで、コチアの営農指導者として活動を始めた。「農薬信奉」の始まりだった。
土日も休む暇なく、奥地の日本人会や文協を講演して回り、当時の下元健吉専務理事に、「『勝ち組のところばかり行くから困る。組合員が増えるからどんどん行け』と逆にけしかけられた」と笑ってエピソードを振り返る。
農薬販売会社勤務を経て農薬会社を設立するも、70年代前半に「農薬では害虫が駆除できなくなってくると同時に、農薬はひどいものと知っていたから、野菜や果物を食べずビタミン・ミネラル不足で体がガタガタになっていた」と告白。
4年間、野菜と果物を摂取しないと人間はどうなるかを身を持って体験し、農薬の限界を知った続木氏は、11チェーン店あった自社での農薬販売中止を決めたという。
どうしたら農薬なしで作れるか―。「誰もやっていないから実験しながら始めるしかなかった」と淡々と語るが、草刈り機を発明・製造し、3年で120軒の顧客を獲得するまでに農法を確立。80年代には全伯の識者を集めて初の有機農業協会を立上げた。
しかし、現在でも規格取得の義務などが壁になり有機栽培者は少なく、「フェイラなどではまず手に入らない。セアザでも1軒程度です」と苦い表情を浮かべる。
「もう一度、無農薬組織を作りたい」と語る続木氏は、現在もコチア市にある自身の農場で栽培・販売を行い、他の農家と一緒になって有機栽培見学を企画するほか、後継者育成に力を入れている。
「自然の法則に逆らわない」が唯一の栽培法則だという。「虫のえさは植物の中のアミノ酸。それをタンパク質に変えてしまえば虫がよらない」と説明し、朝採ってきたばかりのレタスやニンジンを試食した参加者は、「新鮮で美味しい。全く虫に食われてないなんて」と感激の様子。
無農薬で白菜の栽培に挑戦したことがある辻哲三さんは、「中がスポンジみたいになっちゃったんだけどなぁ」と感心していた。"


2009年11月12日木曜日

地場産「わら納豆」給食に 関西地区で納豆とは意外

ポイント:
1980年代から血栓溶解作用などが注目されてきた納豆。
関西地区で地場産の納豆が注目されるのは喜ばしいことだ。


asahi.com:地場産「わら納豆」給食に/高島・安曇小

-マイタウン滋賀
2009年11月06日


給食前に担任から「たかしま天然わら納豆」の説明を受ける2年生の児童たち=高島市の安曇小学校

【「たかしま有機農法研究会」考案/においなく好評/市教委、市内全小学校に拡大へ】

高島市安曇川町田中、安曇小学校(奈良羊子校長、児童305人)の5日の学校給食に、無農薬栽培の大豆でつくった「たかしま天然わら納豆」が初めて全校児童に配られた。無農薬の稲わらで大豆をくるみ、わらについた納豆菌で発酵させた。納豆独特のにおいが消え、児童の評判は上々。市教育委員会は、今月中旬から市内の全小学校の給食に採り入れるという。(河村司郎)

わら納豆を提供したのは、食の安全をめざし市内で農薬や化学肥料を使わない有機農法に取り組む「たかしま有機農法研究会」。昨年6月、「無農薬のわらで納豆を作れば安全で安心して食べられる納豆が作れるのでは」と、大豆部会を設置し、メンバー2人が約1ヘクタールの畑で栽培。収穫した大豆を京都府亀岡市の納豆製造会社に持ち込み試作したところ、ねばりが強く、独特のにおいも消え歯ごたえは上々だった。

 大豆は「納豆小粒」と呼ばれる種類で、昨年11月中旬に約2トン収穫した。これを納豆の注文に応じて加工している。安曇小栄養職員で栄養士の佐合井(さ・ご・い)治美(はる・み)さんが評判を聞き、6月にカップ入りの納豆を給食に採り入れたところ、児童は「おいしい」を連発。そこで、本格的に「わら納豆」を採用することにした。

 この日は、大豆を栽培した安曇川町の農業梅村元成さん(59)が教室を訪れ、わら納豆の栽培から加工までを説明。2年1組の児童たちは、担任の先生からわらでくるまれた納豆のほどき方を教えてもらい、それぞれ約20グラムずつほおばった。松本帆香(ほの・か)さん(8)は「いやなにおいがなく、まろやかでおいしかった」とにっこり。

 栄養士の佐合井さんは「児童の評判は良く、食の安全とおいしさ、栄養面、地産地消を考え定期的に採用していきたい」と話している。"


2009年11月9日月曜日

毎日農業記録賞

ポイント:
社会の中で生きる農業、夢が持てる農業
これが、掛け声だけでなく、実践を伴うことを望む

毎日農業記録賞:中央審査 渡部さんが優秀賞、重井さんに優良賞
in /徳島 - 毎日jp(毎日新聞)

 ◇一般部門・吉野川の渡部さんが優秀賞
 ◇高校生部門・県立城西高の重井さんに優良賞

農や食への思い、提言などをつづる「09年毎日農業記録賞」(毎日新聞社主催、農林水産省など後援)の中央審査結果が5日、発表された。県内からは一般部門で吉野川市山川町青木、主婦、渡部あかりさん(34)の「畑仕事と農業への夢」が、全国で10編選ばれる優秀賞を受賞した。高校生部門では県立城西高校3年、重井仁さん(18)=徳島市国府町南岩延=の「ニュージーランドファームステイで得たもの~『チェンジ』農業のイメージは変わる~」が優良賞に選ばれた。【江南護】

◇畑仕事で息子も成長--渡部さん

農業に携わることは以前考えもしなかったが、結婚して子どもができ、生活が変わる中で徐々に考えや感じ方が変わってきた。畑仕事で心地よい汗を流しながら、長男や農業の将来を考える。そんな思いを率直につづった。

 三重県出身の渡部さんは、徳島大で栄養学を学んだ。6歳の一人息子は、1歳になる直前に小児がんと分かり、1年余り大学病院に入院。3歳9カ月の時には自閉症と診断された。「どうして自分だけが普通に育てられないのか落ち込み、人との接触を避けるようになった」という。

夫が勤める診療所の院長は、自称「兼業農家」。夫や院長の話を聞くうち農業への関心が高まり、畑を借りて野菜を作り始めた。

今年7月に建てた自宅の敷地には、約330平方メートルの自前の畑がある。無農薬で里芋やネギ、ニンジン、大根、ブロッコリーなどさまざまな野菜を育てる。「分からないことがあっても、近くの農家の人が親切に教えてくれる」と喜ぶ。

 「新鮮で無農薬の野菜は、息子にも安心。息子も嫌いな野菜に挑戦したり、水まきや土いじりを楽しむなどすごく成長してくれた」。農業に大きな可能性を感じている。

 ◇地域農産物に夢託す--重井さん

昨年の夏休みに体験したニュージーランドでのファームステイや、学校での農産物直売所の経験などをもとに将来の夢を書いた。

 ニュージーランドでは大規模な酪農家に1週間滞在し、主に子牛の世話を任された。「家族全員が生き生きと農業に取り組んでいることが新鮮だった」と話す。「農業をやりたい人が増えるように、日本の農業の『きつい』『しんどい』イメージを変えたい」

農業大学で作物学を学び、営農指導員になるのが今後の目標だ。「食の安全のために地域の農産物の良さを伝えていきたい」と、徳島で農業に携わり続けたいという。

学校では山岳部に所属。「何でも前向きに取り組む」とは周辺の評だ。持ち前の粘り強さで、夢の実現に挑む。

 ◇岩本さんと中川さんが地区入賞--高校生部門

高校生部門の地区入賞の皆さんと作品名は次の通り。一般部門は、優良賞、地区入賞とも該当作品はなかった。

岩本あかね(鳴門第一3年)「感謝をこめて」
中川咲紀(城西3年)「『キノコは花です。』から始まったキノコアレンジメント


2009年11月1日日曜日

大根の基本的な栽培法

大根について

大根大根は古くから日本人に親しまれてきた野菜の一つで、品種も多く形や肉質また気候や土壌に対する適応性などの品種の分化が著しく発達しています。
たとえば火山灰土では、根が70~80cmと長いものが作られ、花崗岩質でかたい地層では地上に半分以上根が出るものや根の短いものが作られています。気候は涼しいところを好み、生育温度は15~20℃が適しています。高温に弱く、関東以南では高冷地を除いた5~7月まきは病虫害におかされやすく収穫が困難になります。寒さには強い方ですが、晩秋以後の低温は根の太りが悪くなります。

育て方のカギ


・春大根も種子まきは十分暖かくなってから
・畑は良く深く耕し、土は細かく砕いておく

育て方
1.畑の準備


予定地は種まきの半月以上前に苦土石灰をまき、40~50cmの深さによく耕して土を落ち着かせておきます。根がのびるところに小石や未熟有機物などがあると変形やまた根の原因になるので、長根種の栽培では特に入念に準備します。水はけのよい火山灰土では、平うねでかまいませんが、低地では高うねにして排水をはかるようにします。

2.種まき


深さ7~8cmのまき溝をつくり、その中へ株間25~30cm、条間40~50cmの2条まきとします。1ケ所に4~5粒の点まきをし、細かい土で厚さ1cmほどに覆土します。

3.間引き


双葉展開時に3本に間引き、2回目は本葉2~3枚時に2本にし、最終は本葉5~6枚ごろに1本立てにします。間引きは葉の形の悪いもの、色の濃いものや病害虫に侵されているものを取り除きます。

4.中耕・追肥


間引きに合わせて1回目は肥料を株の周りにばらまき、除草グワなどで軽く土とまぜながら株元へ土を寄せ、風でふり回されないようにします。2回目、3回目はうねの片方ずつにクワで浅い溝をつくり、そこへ肥料をばらまき通路の土をやわらげながら溝に土をかけるようにしてうねをつくります。
追肥の量は、3.3平方メートルあたり、第1回目は化成肥料150g、第2回、第3回めとも化成肥料200g~300g位施します。

5.収穫


秋どり栽培は60~70日、春どり栽培は10月まきで120~140日、3月まきで80~90日、夏どり栽培は60日位で根が肥大するので、太りしだい収穫します。収穫が遅れると根がス入りになります。ス入りは葉柄のス入りと関係があるので、古い葉のつけ根から3cmぐらいのところを切断し、その中央部がス入りしているようなら、根もス入りしているとみることができます。


注意点
●トウ立ちについて


春大根を作る時の問題に、「トウ立ち」があります。トウ立ちとは、大根の場合は根が太らず花が咲いてしまう現象をいいます。もともと大根葉発芽すると同時に低温に感応する性質を持っていますから、「トウ立ち」は得に春まき栽培において問題となります。この場合の低温とは、一般に12℃以下のことをいいます。従ってトウ立ちしにくい晩抽性品種の使用をおすすめします。
しかし、いくら晩抽性品種とはいえ、早まきすればトウが立ちます。春の気温の不安定な地域では、適期より3~4日早く種まきしてもトウが立つことがあります。これらはすべて低温に感応しておこるものです。ですから種まきの時期には十分注意を払い、極端な早まきは避けてください。

●また根


整地不良以外にも次の原因で発生します。

1. 化成肥料などの株元への多用
2. 土壌害虫による初期の食害
3. 間引き、土よせの遅れ"