今週の本棚:養老孟司・評 『ハチはなぜ大量死した…』=ローワン・ジェイコブセン著
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今週の本棚:養老孟司・評 『ハチはなぜ大量死した…』=ローワン・ジェイコブセン著
◇『ハチはなぜ大量死したのか』
(文藝春秋・2000円)
◇病み疲れた「もう一つの人間社会」
ミツバチについて、一昨年から奇妙な報道があった。主にアメリカでの出来事だが、なぜか働き蜂が巣に帰ってこない。残されたのは女王と幼虫、結局巣は潰(つぶ)れてしまう。かといって、どこかで大量の死体がまとまって見つかったわけでもない。人によってはこれをイナイイナイ病と呼んだ。「二〇〇七年の春までに、実に北半球のミツバチの四分の一が失踪(しっそう)した」。本書はそれがいったいどういう現象であるのか、しっかりと解説したものである。とても興味深い、でも真剣に考えると、なんとも恐ろしい本である。
結論をまず述べておこう。この「蜂群(ほうぐん)崩壊症候群」の原因は単一ではない。最大の背景は工業化された農業である。それがハチたちに強いストレスを与え、免疫抵抗性を弱め、ダニやウィルスに対する防御を弱めた。そこに農薬の複合汚染が重なり、精密な社会生活を営むミツバチの巣全体の活動をいわばアルツハイマー状態に陥れた。病み疲れた働き蜂たちは、採餌に出た先で倒れ、巣には戻れず、おそらくただ死んでいった。
著者はミツバチの正常な生活からはじめて、ハチたちが農業という経済活動に組み込まれていったいきさつ、ハチにどのような病気が発見されたか、などについて、きちんと報告していく。私はそれをほとんど「もう一つの人間社会」を見る思いで読んだ。
厳密な証明と単一の原因を要求する現代の読者は、ひょっとすると不満を感じるかもしれない。でも生きものが関係するシステムが起こす病的な現象で、単一の原因を提示する人がいたら、むしろそのほうが信用できない。私はあえてそういいたい。糖尿病も統合失調症も、「原因は一つ」ではない。
この現象はアメリカでとくに問題になった。アメリカの農業、とくに果樹園のように授粉が必要なところでは、ミツバチの存在が不可欠だったからである。ハチに蜂蜜(はちみつ)を作らせて販売するより、求めに応じて、アメリカ全土の果樹園にハチを連れ歩いたほうがお金になる。だから打撃を受けたのは養蜂業だけではない。果樹園も同じだった。たとえばカリフォルニアのアーモンド畑の場合、アーモンドだけが植えられている。自然の世界として考えたら、一種類の木だけが延々と植わっている光景は異様としかいいようがない。しかも加州のアーモンド畑の総面積は三千平方キロ。そこにはアーモンドの木以外にはなにもない。当然虫もいるわけがない。それなら授粉はミツバチに頼るしかない。開花期には一箱いくらの契約で、養蜂業者がそのミツバチを連れてくる。
ミツバチの立場で考えてみよう。あちらもこちらも、アーモンドの花ばかり。すべての栄養をミツバチはアーモンドから摂取する。それが可能か。野生状態ならまさに百花繚乱(りょうらん)、さまざまな花から花粉と蜜を採ることができる。それなら「自然に」栄養のバランスをとることもできよう。しかもその畑には、かならずなにか農薬が撒(ま)かれている。ミツバチは需要に応じてあちこちを連れ回される。微量とはいえ、あっちではこの農薬、こっちではあの農薬。科学者の調査によれば、なんと十種を超える農薬を含んでいた個体もあったという。即座にハチを殺すほど強力でなくても、虫に対する毒を長い間に溜(た)め込んだハチは、正常に動けるのか。むしろアルツハイマー状態になって当然ではないか。
三十数年も前のことである。有吉佐和子は『複合汚染』を書いた。その頃(ころ)から有機農業が意識され始めた(さらに昔は有機に決っている)。その後社会はどう変わったか。グローバリゼイションから百年に一度の不景気に至るまで、社会が真剣に相手をしてきたのは、経済と景気だけではないのか。景気つまり経済成長は石油消費量と並行する。農薬の最大の原料も石油であろう。経済が栄え、生きものが滅びる。世界にとって、石油が消える方がマシではないのか。
ミツバチだけじゃない。虫がいなくなった。それは私は知っている。子どもの頃に庭によく飛んできたキボシカミキリがいない。なぜか、だれも知らない。ドウガネブイブイが消え、アオドウガネばかりになった。なぜか、だれも知らない。それどころか、三月の末に木漏れ日のなかを飛んでいた無数の小さな虫たちは、ほとんど消えた。ミツバチが消えることになって、さすがのアメリカでもこういう本が出版されるようになった。もはや手遅れではないか。そう訊(き)かれても私には答えられない。三十年以上前からわかっていても、聞きたくない人の耳には届かない。頭でわかっても、身体がいうことをきかない。いまだってまだ、一定の経済成長を保つのが政府の仕事だと思っている人が多い。他方で環境省は省エネという。省エネや排出権取引を商売にして、経済と環境を折り合わせようとしているのは、はたして人類の知恵か、その場逃れか。人類がミツバチの運命をたどらないことを祈る。(中里京子・訳)"
たしか、ドイツの研究では、携帯電話の利用量の増加とハト、ハチの失踪量が相関関係が強いとのことです。
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